もしドラ桜

当たり前だけどみんなが言わないことを書いていきたい

大学生の価値 -パーソナルなバックグラウンドが大事?-

大学生のほとんどは卒業と同時に就職する。つまり就活する大学3~4年生の頃には、企業にとって採用する価値のある人間になる必要がある。僕は現在大学4年生だが大学院に行くので、就活は経験していない。とはいえもう少しで就活というのが始まる。

今回の記事では、僕がバイトやインターンで様々な社会人と話して感じたこと、そしてそれを踏まえてどのような大学生活を送るべきか、企業にとって価値がある人間とは何か、また大学生が自分につけることができる価値とは何か、というのを考えてみた。あくまで仮説の段階であるが、興味があればお付き合いいただきたいです。(意見があれば是非コメントいただきたいです)

準備として この記事ではコンテンツポテンシャル の2種類の視点について大学生の価値について考える。

  • コンテンツ 

中身、能力、直接何かに価値を生む人材かどうか

  • ポテンシャル

潜在能力、将来的に価値を生む人材かどうか

このように定義する。

この記事で一番言いたいことを最初にいうと、ほとんどの大学生はコンテンツではなくポテンシャルが大きな価値で、ポテンシャルを示すのはベース(base)とパーソナルなバックグラウンド(personal background)が大事であること。それを証明するために大学生の活動があるということ。(という仮説)

です。 そして前提条件として、今から述べる大学生はそこそこの活動(ボランティア、インターン、留学など)をしている大学生とする。

社会に通用するコンテンツを持つ大学生なんてほとんどいない

コンテンツというのは"能力"と思ってもらっていい。例えば、プログラミング力、コミュ力、語学、問題解決能力...あなたは即戦力ですか?という話である。

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注意したいのは、大学生というのは大学生補正というのがある。例えば、僕がプログラミングでゲームを作ったとする。周りからはスゴイねと言われることもしばしばである。でもこれで企業の即戦力となるようなコンテンツを持っているかというと、ほとんどのケースでNoである。これは「(大学生の中では)すごいね」だったり、「(初めて半年なのに)すごいね」という補正があり、決して「(企業にとって即戦力なコンテンツを持っていて)すごいね」ではないのである。ここを勘違いしてはならない。(大学生補正というのは誰かが言っていた言葉である)

そして、社会に通用するようなコンテンツを持っている大学生はほとんどいないというのが僕の仮説である。 僕もその一人である。例えば今ゲームを趣味で作っているが、それで喰っていけるほどの知識と技術があるかといったらそうでもない。

僕の周りはデキる大学生が多い方だと思うが、それでも一人で社会で戦っていけるほどのコンテンツを持っている大学生はごく一部である。例えばTehuくんとか。(一応彼は年下なので君付けである)

まとめると、コンテンツで勝負できる大学生はごく少数。 なので、ほとんどの大学生はポテンシャル(潜在能力)を期待されるだろう。つまり将来性である。

ポテンシャルをアピールできる大学生とは

企業にとって「将来的に活躍してくれる人材」を採りたいはず。つまりポテンシャル(潜在能力)を持っているか。ポテンシャルがその人の価値なのである。

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僕の仮説はその人のベースパーソナルなバックグラウンドに価値がある、つまりポテンシャルを感じるのではないかと考えている。(2016年2月19日現在)

ベースというのは、基礎、例えばゲーム会社であれば、「プログラミングができるか」「フルスクラッチでゲームが作れるか」など、もしくは普通の会社では「人間としてのマナー」「挨拶、時間を守る」などの観点で見られるかもしれない。基準は会社によって違えど「最低でもこれくらいはできて欲しい」というベースの知識や行儀があるかどうかである。

というのは、結局会社に入ったらほとんどの確率で新しいことを覚えなくてはならない。大学で習ったことが活かされるなんて思わないほうがいい(日立の社長の講演より)。つまり会社に入ってから研修がある。その研修についてこれるベースの知識はあるのか。という意味でのベースである。

もう一つはパーソナルなバックグラウンドである。

これは「この子は将来"継続的に"モチベーション高く頑張ってくれるのかな?」というのを見たいのである。 それは能力だけではなく、その人の性格や考え方にも依存するだろう。

ここで就活の面接のケースを考える。 これは僕の予想であるが、就活生が言いそうな自己PRポイントして

「ボランティアサークルの代表をしていました」

「留学で語学を勉強しました」

というのが例えばありそうである。しかし、先ほど言ったように、これらは即戦力になるようなコンテンツにはなりえないのである。

今時ちょっと行動すれば、そのような活動をすることができるし、そんな大学生はゴロゴロいる。

例えば、ただボランティアサークルで活動したことをアピールするのではなくて、その活動のキッカケとなったパーソナルなバックグラウンドを言ってみる。

「私は子供の頃、自由研究の実験や工作が載っている本を読むのが大好きでよく工作していました。おそらくその本を50周くらい読んだことかと思います。そのおかげで理科に興味を持ち、理系の道に進んだといっても過言ではありません。なので大学生になってからは子供たちに科学の楽しさを伝えられるようなイベントを運営するサークルに入り、三年間続け、最後の年には代表を務めました」

ここでは「自由研究の実験や工作が載っている本を読むのが大好きで、そのおかげで理科に興味をもった。大学生になって小学生に同じような体験を与えたい」というのがパーソナルなバックグラウンドに対して「科学工作教室を運営するボランティアサークルを三年間続けた」というそのバックグラウンドを証明する証拠になる。私の仮説は、その人の魅力となるのは大学生での活動ではなく、そのバックグラウンドなのではないか。ということである。

企業からすれば「このバックグラウンドを持っている学生はウチでも頑張ってくれそう」「このバックグラウンドは微妙だな」という見方になるのではないだろうか。

ここで「パーソナルな」とつけたのは、人間は一般論に流されやすいと思うからである。例えば、ボランティアサークルに入る理由が「楽しそうだったから」「自分に合うと思ったから」「ボランティアがすきだから」と答えるのは、間違っていないが、まぁ一般的にはそうだろということで、魅力にはならないだろう。

大学生が目指すべき活動

つまり大学生は、周りに流されず、自分が感じたことに対して正直に活動していけばいいのではないか、

自分が昔感じたこと、もしくは大学生になって気付かされたこと、自分の原点に戻って考え行動すること。 自分のパーソナルなバックグラウンドに素直に活動していくことが大事なのではないか

周りがやってるから、これをやっておくと就活に有利だから、という理由で活動していると就活のとき大コケしそうである。というか人として魅力がない、中身が薄い人間になってしまうのではないか。

また、パーソナルなバックグラウンドというのは、心の奥底にあることが多いため掘り起こす必要がある場合もあるだろう。これがいわゆる自己分析なのではないか。意外と無意識に活動している大学生も多いはず。

まだこれは仮説である。なので正しいとは限らないので鵜呑みにはしないで欲しい。 就活でこの仮説が正しいか、一年後実証していきたいと思う。

おまけ

自由研究の本が大好きだった僕が、自由研究の本を書きました。 「東工大サイエンステクノの理系脳を育てる工作教室」です。 Amazon.co.jp: 東工大サイエンステクノの理系脳を育てる工作教室: 東工大ScienceTechno, 大竹 尚登: 本