「やりたいことがない」ではなく「何ができるかわかっていない」
美術の時間に「描きたいものがない」 図工の時間に「作りたいものがない」 といった経験はないだろうか
大学生になると 「就職したい会社がない」 「人生でやりたいことがない」 という悩みを抱えたりする。
この「やりたいことがない問題」を指導者の立場になった時に、どう考えるべきかというのが、今回のテーマである。
指導者の立場というのはどういうことか、具体的なケースをあげよう。
私は今、中高生の生徒にプログラミングを教えるバイトをしている。
生徒の最終的な目標は、オリジナルゲームを作ることである。
ここで生徒に「何か作りたいゲームはある?」と聞くと
「作りたいゲーム…ない」と答えられることがある。実は割とよくあることである。
この時に、あなたが指導者の立場だったら、その生徒に対してどう考える?
「本当に作りたいゲームがないんだな」と考える?
私は違うと思っている。
ここで私は2つの理由のパターンを考える。
- 世の中にどんなゲームがあるかの知識が乏しい
- プログラミングで何ができるかイメージができていない
である。 1つ目の問題に対して私は「来週の授業で面白いApple Storeのゲームをみんなの前で3つ紹介してもらいたいから、ゲームを調べてきて」といった課題の出し方で解決を狙う。
指導者が盲点になりがちなのは2つ目の問題である。
2つ目の問題に対して私は、自分が以前プログラミングで作ったゲームを3つくらい生徒に見せる時間を作るようにしてる。
例えば、生徒にオセロのゲームを見せたとする。
すると、将棋が好きな生徒から「じゃあ、じゃあ将棋も作れますか?!」と反応があったりする。こうやって生徒のやりたいことを内側から呼び起こすのである。
できるだけ生徒のアンテナに引っかかるように色んな種類のゲームを見せるも1つのポイントである。
結論をいうと「やりたいことがない」というのは、「本当はやりたいことが自分の内側に眠っているが、それを達成するイメージがない、または自分に自信がない」その状態が「やりたいことがない」という発言が生んでいる気がする。
そのことを頭に入れた上で、指導者としてどのように生徒と接していくべきか。私の今後の課題としていきたい。