もしドラ桜

当たり前だけどみんなが言わないことを書いていきたい

生き方という道を開拓する面白さ

今日は「面白さ」という概念の捉え方という視点から、岩崎という人間を理解してもらおうという記事である。

なので、岩崎という人間に興味がない人にとってはこの記事は価値が薄いかもしれないことをご了承いただきたい。

生き方を開拓することに面白さを感じる

「面白い」という言葉はほとんどの人にとってポジティブな言葉だ。面白いモノに対して歓迎しない人はいないだろう。

しかし、何をもって「面白い」と感じるかは人によって違うだろう。しかも言語化しにくいから大変だ。

僕も何かを「面白い」と思って、行動し、意思決定している。

だが、僕はおそらく他の人とは違ったものに面白さを感じている。

しかも、その違いを今まで言語化できずにいた。

しかし最近になって「生き方という道を開拓することに面白さを感じる」という表現がしっくりことに気づき始めた。

生き方を開拓することの意義

「生き方を開拓」することの意義とは、他人を歩けるような道を作ることである。その先には人類への貢献があると思っている。今まで試されなかった方法や生き方を実践することで、成功すれば他の人がその方法を実践することができる。失敗しても、なぜ失敗したか分析すれば、役に立つ知識を提供することができる。

これは研究で新規性を求めることと近い感覚かもしれない。

例えば、プロジェクトを成功させるために、AとBという方法論があったとする。

Aは定例的なやり方で、その通りに実行すれば成功する。今まで何人もの人が使用してる方法。

BはAの方法に対して、もっとこうすればいいんじゃないかとオリジナルな部分を足した方法。自分の中ではうまくいくと思っているが、やってみないとわからない。

この場合、僕は必ずBの方法を選ぶ。なぜならAの方法は、方法論の開拓という意味では人類に貢献してないからである。成功すると分かってる方法で実行しても面白くない。それよりも、誰も使ってない方法を試した方が、人類に貢献できるし、個人的には面白い。

もちろん、闇雲に新しい方法を試すわけではない。ちゃんと成功するイメージや分析を行ってから実行する。新しい方法の実行はギャンブルではなく確認作業である。事前に頭の中で思考実験して、行動する時に本当に成功するのか確かめるという感覚なのである。

また、既存の成功手法を、ないがしろにしたり敵対視したりはしない。むしろ既存の成功手法を分析し理解することによって新しい手法が思いつくと思っている。

この「生き方を開拓する」という表現が最適解かどうかというのは、僕にもわからない。だけど一つの局所解であることは間違いない。

具体的にどんなケースがあったか

さて、ここからは具体的なケースについて述べる。これらは僕の実体験である。

皆さんも、自分ならどうするか考えてながら読んでほしい。

Question

ゆくゆくは難関大学へ行きたいあなた、高校選択は

①偏差値70の私立進学校

②偏差値50の公立高校の特別進学コース(設立1年目)

のどちらか

岩崎の答え ②

なぜなら①の私立進学校から難関大学に進む道は誰かが経験している道であり、ある程度成功することがわかっているから、その方法で成功したとしても人類への貢献にはならず面白くない。

②の公立高校は難関大学への実績がないため、そこから難関大学へ合格することは、少なくともその高校への大きな貢献になる。また、そういった人間が僕以外にいないとすれば、これは人類への貢献になるだろう (実際は僕と同じような選択を取った人はゼロではないので、人類への貢献になるかは微妙)

感想 これは僕に取って一番最初にして一番ぶっとんだ意思決定だっただろう。もちろん他にも公立高校を選んだ理由はあるのだが、最終的にこの決断を決定づけたのは、この自分の人生を「生き方を開拓する」という意味で面白くしたい考えだった。進学校から難関大学に進むというある程度成功が保証された道ではなく、誰も成し遂げていない道を歩いた方が、同じ結果であればこちらのほうが人生として面白い。

この決定に全く後悔はしていないし、むしろ自分にとって最適な選択だったと思っている。

最後に

「生き方を開拓する」ということに面白さを感じている限り、僕は既存の最短距離の道を歩こうとはしないだろう。

僕は、"もっと"最短距離な道を見つけ出し、実際に自ら歩き道を確かめていく人生を送る。その結果遠回りになったり失敗したりすることがあるかもしれないが、その時の経験は必ず次の機会にプラスになると思ってる。